はじめに
妊娠中は赤ちゃんとの幸せな日々を思い描いていましたが、ある日突然「切迫早産」と診断され、戸惑いでいっぱいになりました。まさか自分が救急車で運ばれて入院にまでなるなんて…。
この記事では、私自身の切迫早産の体験をもとに、診断から入院、そして退院後の生活までを振り返っています。
同じような不安を抱えている妊婦さんが、少しでも安心できるように、
支えになったこと、心がけたこと、そして今だからこそ伝えたいことを綴りました。
どんな状況でも、赤ちゃんを守るためにできることはたくさんあります。一緒に、前向きな気持ちを取り戻していきましょう。
切迫早産と診断された日のこと
違和感を感じた瞬間
それは、妊娠23週1日のときでした。深夜12時くらいでしたが、下着に水のようなものが付いているのでを感じて「ちょっとおかしいかも」と思いました。けど、その時は特に気に留めず、大丈夫だろうと思って放っておきました。
しかし、その2時間後、ふたたび下着に水のようなものが出ていることに気がつきました。
今までは16週くらいまではトイレをしたときに多少出血があったりしましたが、それからは特になにもなく、もしかして破水だったらどうしようか、と思ってすごく焦りました。
この時期の赤ちゃんはまだ200gくらいしかなく、生まれてきてしまったら、生存することが難しく、もし生存できたとしても後に障害が残ったりする確立が高いと聞いたことがあったからでした。
診察を受けたときの気持ち
念のため病院に電話をしたら「来てください」と言われ、診察を受けることに。
一応夫を起こして伝えてみたものの…再び寝てしまったので、私は車を運転ができないので歩いて病院に行くことにしました。
病院までは20~30分前後で、電話に出てくれた助産師さんからは絶対に歩いてこないでくださいね、と言われたのですが。
(歩くと子宮口が開きやすくなり危ないらしいです。汗)
9月だったのでなんとか汗だくで病院に行って、しばらく待って診察してもらいました。
先生から、「破水じゃなさそうですね」と言われてとりあえず一安心しました。
しかしその後、「子宮頚管長が1.3cmですね」と言われて、「えっ1.3cmですか!?」とびっくりしてしまいました。
子宮頚管長は赤ちゃんのいる子宮の蓋みたいなところの長さで、ここが短くなって開くと赤ちゃんが生まれてきます。
通常だと、4cm近くあるのが普通だそうで、1.3cmだと子宮口が開いて赤ちゃんが生まれてきてしまうかもしれなくて、
その場で「今日から入院になりますけど、入院できそうですか」と先生から言われました。
赤ちゃんを守るためには必要なこととわかっていても、突然すぎて心の準備ができず、どうしようかと焦ってしまいました。
元々は、破水じゃないかどうか調べてもらうだけだったのに、まさか入院にまでなるなんて。
それに今まで順調だっただけに、どうして?と自分を責める気持ちも出てきてしまって、いろんな感情がぐるぐると渦巻いて、本当に不安な時間でした。
でも、赤ちゃんのためにも入院することに決めました。先生からは、「警察じゃないので、入院を強制することはできないので」と言われたので、帰ろうと思えば帰れましたが。
とりあえず診察してもらえたおかげで破水してないことも、赤ちゃんが元気なこともわかったので、一安心でした。
その後は、点滴でおなかの張り止めをすることになり、ベットに横たわって朝まで過ごしました。
張り止めは副作用があり、とても心臓がバクバクして息苦しく、100m走を全力疾走したときのような息遣いでした。
周囲への連絡と対応
診断後すぐ、夫にLINEを送りました。寝ているところを起こすのは悪かったので電話はやめておきました。
ちなみに助産師さんや先生からは、旦那さんは?と聞かれて、「言ってないんです」と苦し紛れの返事をして、びっくりされました。笑
そして朝になって、夫から電話がありました。入院ってどういうこと!?とびっくりな様子で。
夫は私が家の中に隠れてると思ったらしく、家の中を探し回っていたようです。笑
事情を説明して、入院に必要なものを持ってきてもらうことになりました。
荷物を持ってきてもらった際に、夫と一緒に朝の診察を受けることになりました。
また、私は会社員でしたので会社にとりあえず連絡して、入院することになったことを伝えておきました。
会社側からは、診断書をもらうように言われたので、後で看護婦さんにもらおうと思っていました。
人生初の救急車に乗る羽目に
朝の診察待ちでも、私自身は全くなんの症状もなくケロッとしていました。
ベットで受けていた張り止めはきつかったですが、終わればなんともなくって。
名前が呼ばれて診察してもらうと、先生から「子宮頚管長が2.8cmですね」と言われました。
少し長くなっていて安心しましたが、その後先生から「子宮頚管をとめているところの筋肉が弱く、子宮頚管無力症でしょう」と言われて、絵を描いて説明してくれました。
「こちらの病院ではNICUがなく、もし生まれてしまったとしてもNICUのある病院へ搬送になります。万が一のことを考え、総合病院の方へ転院した方がいいです。」と言われ、「移動は救急車になりますので、準備してすぐいきましょう」と言われました。
そして入院部屋に戻って、準備が終わると救急隊員の方が担架を持ってきてくれて、担架に乗って救急車に乗ることになりました。旦那さんは荷物を持って、車で後から追いかけてくることに。
救急車には、看護婦さんが1人ついてきてくれて、救急隊員の方と一緒に私に話しかけてくれました。
「お子さん何人目ですか?」や、「緊張しなくて大丈夫だよ」と言ってくださり、とても優しく接してくださって、安心して過ごすことができました。今でも本当に感謝しています。
救急車の中では、名前とか生年月日とか携帯電話とか聞かれました。今思えば、携帯番号はなんだかテンパってて間違えて言ってしまったような気がします。汗
救急隊員の方も生年月日は昭和64年…〇月〇日と言っていて、もう一人の救急隊員の方が「昭和64年!?違うんじゃない?」みたいに話してて、間違いだらけのぐだぐだな会話でした。笑
10分弱で病院につくと、また名前とか生年月日を聞かれました。
担架に乗ってると上しか見えないので、周りの状況がなんとなくしかわからなくて、まだかなまだかな、という感じでした。
そして担架からおろしてもらって、キョトンとしていると、病院先の助産師さんに「深呼吸しよっか?」と言われて、すごく緊張してたんだろうな、と客観的に思いました。
すぐにベットに行って、内診が始まりました。女医さんがつっこんだ器具が痛くって、それが伝わったのか「痛いか~濡らすか」と言ってて、器具が濡らされて挿入されたら痛くなくなりました。女医さんが「あれ?なんか入ってる、なんだろ?」とか話してて、「なんも聞いてないし、電話して何の処置したか聞いて」というような会話が聞こえてきました。
どうやら前の病院で、洗浄して薬を入れてくださっていたようでした。「急いでるとこういうこと(連係ミス)が起きるね」とおしゃってました。その後は、お腹になにか巻いて、赤ちゃんの心電図を取っているようでした。
そんな中、旦那さんが到着して荷物を持って来てくれました。
赤ちゃんの心電図が40分くらいかかりましたが、その際に看護婦さんに入院生活の説明を受けたり、いろいろ質問していると
心電図が終わったので、入院部屋に荷物を持って移動しました。
入院生活と不安との向き合い方
入院初日の様子
入院初日は、病室がとても綺麗で広く、個人部屋でとても気に入りました。
部屋に移動するとすぐにお昼ご飯がやってきました。総合病院なので質素でしたが、美味しく頂きました。
助産師さんや看護師さんがときどき入ってきて、いろいろ説明してくれたりしてくれました。
夫も夕方くらいには帰っていき、いよいよ一人で入院生活を送ることになりました。
正直不安はあまりなくて、どのくらい入院する必要があるのかな?くらいに考えていました。
一日の過ごし方
基本は安静なので、ほとんどベッドの上で過ごしました。
トイレ以外の移動はほとんどなく、スマホで動画を見たり本を読んだりして気を紛らわせていました。
ご飯の時間が、朝7時と昼12時と夜18時にあって、赤ちゃんの心音確認が昼と夜にありました。
また、お腹の張りを止める薬を食後に毎度と夜10時に飲みました。
朝10時くらいに毎日内診があり、子宮頚管長の長さを確認されていました。
そして、夜9時くらいに点滴が30~40分あって、その後就寝という感じでした。
入院2日目には、子宮頚管長の長さが3.5cmくらいになっていて先生からも「長さはあるね!緩い感じするけど」と言われました。
どうやら私は、子宮頚管が緩くて開きやすいようでした。そういう体質だったのかもしれません。
心の支えになったこと
毎日の夫からのLINEや、電話のやり取りがすごく力になりました。義理親も気にかけてLINEをしてくださり、お優しかったです。
家族のちょっとした気遣いが、思っている以上に心を救ってくれました。
また、同じ経験をしたママさんたちのネット記事を読んだりして、無事に乗り越えて出産された内容を読んだりして励みにしていました。
病院での孤独な時間のなかで、同じような経験をした方がいることを知って「ひとりじゃない」と思える瞬間があるだけで、前向きになれました。
医師や助産師とのかかわり
医師からの説明
医師からは「今はまだ産まれるには早すぎるけど、問題がないようだったら早く退院できるかも」と説明を受けました。
具体的なリスクや、これからの治療の流れをわかりやすく話してくれて、落ち着いて過ごせました。
入院2日目くらいで、医師から会社に提出する診断書をもらいました。
診断名は「切迫早産」ということでした。
助産師さん・看護婦さんのサポート
病院の助産師さん・看護婦さんは本当に親切で心の支えでした。
体調やお腹の張りのこと、ちょっとした変化にも気づいてくれて、安心感がすごかったです。
朝になると、体温測定があるのですが、その際に夜は眠れた?など、そっと笑顔で声をかけてくださり、その優しさに感動しました。
質問や不安への対応
ちょっとした疑問でもすぐに聞ける環境だったのがありがたかったです。
少し不安な気持ちを吐き出したり、質問したときも、やさしく答えたり受け止めてくれたり、励ましてくれたりしました。
また、お腹の張りの強さや薬のことなど、わからないことはその場で聞いて、安心をもらっていました。
看護師さんや助産師さんたちが「何でも聞いてくださいね」と言ってくれたことで、気兼ねなく相談でき、気持ちの不安がぐっと減りました。信頼できる人に囲まれていたことが、本当に救いでした。
退院後の生活と心がけ
入院中から退院まで
結局、入院は5日間で終了しました。毎日内診で子宮頚管長の長さを確認されて、3.5cm以上あったので、医師から「いつ退院したいですか?」というようなことを聞かれて、「できるだけ早く退院したいです」と伝えると、入院5日目のお昼に退院できました。思ったよりも早く、入院中は何も問題がなく、本当に良かったと思いました。
退院したときは嬉しかったけど、相変わらず安静にすごさなければならず、家ではとにかく「無理をしない」ことを意識して、家事も最小限に。横になれるときはすぐ休むようにしてました。
退院後は病院からもらった張り止めの薬を食後と夜に飲み、血液検査の時に出た貧血のせいで鉄剤ももらって飲んでいました。
また入院するようなことになったら嫌だったので、自分と赤ちゃんの様子に敏感でいるように心がけていました。
家族の協力
夫が入院中はこまめに来てくれて必要なものを持って来てくれたり、話し相手になってくれたりして助かりました。
幸い病院も近かったこともあり、入院中は土日を挟んでいたので、そこまで仕事にも支障はなかったようでした。
退院後も夫は家事全般を手伝ってくれ、親もいろいろと気にかけてくれて本当に助かりました。
退院後すぐに無理していたら、また入院になっていたかもしれません。そうならずに過ごせて今ではよかったなと思います。
生活リズムの見直し
それまでは夜更かしやちょっと無理して動くこともあったけど、退院後は生活を整えることが最優先になりました。
仕事に関してはあと1週間は休むように診断書が出されて、在宅で仕事をさせてもらっていたので、無理のない範囲でできないことはなかったですが、とりあえず休ませてもらうことにしました。
毎日の早寝早起き、バランスの良い食事、を心がけて過ごしました。
赤ちゃんの成長のためにも、私自身の心と体のコンディションを保つことを意識して、穏やかに過ごしていました。
いま振り返って思うこと
あの時の不安と向き合って
切迫早産と診断されたときは、自分自身には何も症状はなく、そういった自覚が感じられませんでした。
入院する必要はあったのかな?と思ったりもしましたが、入院してなかったら、もしものことがあったかもしれないし、あの時間があったからこそ、命の大切さや日々のありがたさをより深く感じられるようになった気がします。
赤ちゃんが元気に育ってくれている今、あの時の自分に「しっかり休んで正解だったよ」と伝えてあげたいです。
同じ経験をするママへ
この経験は決してひとりで抱えるものじゃないと伝えたいです。
不安でいっぱいの中でも、支えてくれる人は必ずいます。誰かに頼ることを恐れず、自分と赤ちゃんを大切にしてほしいです。
私はこの経験を通して、自分自身も強くなれたと思っています。同じ道を歩んでいるママに、そっとエールを送りたいです。
今の気持ちと感謝
いま、赤ちゃんを見るたびに「あの時安静に過ごして、何も問題がなく無事に生まれてきてくれて本当に良かった」と心から思います。
医師や助産師さん、家族や友人、そして自分自身にも感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも、大切な命と向き合いながら、大事な赤ちゃんの成長を見守ってゆっくりと歩んでいきたいです。
まとめ
切迫早産の診断は、はじめての妊娠生活で驚きの経験でした。
けれど、入院生活を通じて大切な命を守ることの重みと、周囲の支えのありがたさを強く実感しました。
退院後も慎重に日々を過ごすことで、赤ちゃんは無事に生まれ、毎日のお世話は大変ですが、日々成長している姿を目にして感動し、今ではその笑顔に癒されています。
今、不安の中にいる妊婦さんへ。ひとりじゃないし、きっと乗り越えられます。大丈夫。
この記事が、同じ道を歩む方の小さな勇気やヒントになれたら嬉しいです。あなたと赤ちゃんが、安心して穏やかに過ごせますように。